28才だった、わたし

わしたのとこひとりごと

2016年、わたしは回復するための始まりを見つける。回復の兆し。

「どうしても泣いてはいけないような気がして、ただその光景を自分が立っている位置よりも遠いどこからか眺めていた。」

これが正しい説明だと思う。あの人はいまこう動いて、あのひとはこれから何をするのだろう、そんなことを頭の片隅で考えながら、こみ上げてくる涙を必死でこらえていた。
2015/8/23、18:04を携帯電話の画面で確認する、28歳のわたし。

人生は何が起こるかわからない、とはよく言ったもので。
想定外の出来事は考えているよりもずっと簡単にわたしの足元までやってきて、じわりと身体の芯から隅々通り抜け、一番長い髪の毛の先からあっけなく逃げて行ってしまう。
北風だったり、春風のようだったり。する。

あの真夏にふいた北風は、すっかりわたしの身体の大事なところを冷たく冷やすとともに、たいして深くもない井戸に規制をかけていった。
コンコンと湧き出る、井戸の規制をかけた犯人のふりをしている。
コンコンと湧き出る、井戸の規制をかけた犯人に仕立てあげられている。

2016/7/22、25:00 Rookie A Go-go FUJIROCK FESTIVAL'16
ツンとした夜の空気の中、ここでわたしは春風に包まれた。なんのご褒美なのだろう、誰のご褒美なのだろう。The Taupeがフジロックに。
人生はジェットコースターのよう。この表現はほんとうだななんてうなずいてしまう。
わたしはわたしなりに、超えることができないあの大きな背中を越えたい。
だからしっかりと悲しまなければいけなかったのに。
悲しむことを恐れていたばかりに、ついにわたしはどこかが凍えたまんまで今日まで歩いてきた。パワーが足りないのは、睡眠不足のせいではなくて、泣くことを怖がっていたから。
あの日の病室に、28歳のわたしを置いてきぼりにしてしまったから。

もう数日で2016年が終わるというのに、今更になってようやく見つけられた回復の兆しは、絶対に逃がしたりなんてしない。

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集