歩幅と協調
わしたのとこひとりごと

ずっと昔から無視してきた、わたしの中のわたしをきちんと見つけた。それも2018年になってから。

小学生ではサッカー少年団で、中学ではバレー部で、高校生はソフトテニス部の幽霊部員と生徒会副会長。大学はもちろん、サークルに入っていつでも人の中で割と自由に泳いでいた。
集団行動。は得意だから、自分が選んだ場所に不服なんていつもない。
だから合わせること、その場の空気を読むこと、そういうものに興味があった。あったけれど、もうずっと前から興味が別の場所へ移行していることにやっと気が付いた。

嫌いが多い。その「嫌い」が好き。
団体で行動することが嫌い
人のペースに合わせることが不可もなく楽
輪を乱さないことが良いこと
わたしがいつの間にか自分に言い聞かせてきたことが、ひとつのわたしを殺し続けていた
わたしが生きているこの世界は、わたしだけのわたしのための世界なのに

思えば昔から、3人の組み合わせになると自然と2人と1人という風に微妙な距離ができる。わたしは1人の方が気楽だ。でも人はそうじゃないかもしれない。1人はさみしいという気持ちもわかる。
いつも、勝手にそうプログラムが起動する。実に、勝手に。

正月早々の明けましての年賀状も挨拶も、なぜ1日でなければならないのか。と思うけれど、この考えはわたしの勝手な考えなだけ。
背景には礼儀や文化、大切な儀式などたくさんの意味がある。

今年からは見つけたわたし自信を大事にしてあげよう。そう思った。
だって簡単にわたしを傷つけるんだもの。

それはゆめで、いたかった
わしたのとこひとりごと

右手の薬指の第一関節を鋭いナイフの切っ先でサッと切る
細くて強い痛みが走ってそのことに私は気が付いたのだ。

3階くらいの高さから人の海を眺める
ざわめいて狂気じみていて、わたしの一喜一憂に呼応するように手を振ってくれた
波。

確かに声をきいて、確かに痛みが走ったはずなのに。
それは全部夢だったのだ。
そしてそれは開花宣言でもあったのだ。

霧がばぁっと晴れていくように、わたしはわたしの足を自由に動かせるような気分に包まれている。
わたしの中からじんわりにじみ出て、裂けた隙間から堰を切ったように飛び出して行ってしまった
はき違えた優しさを、やさしさと勘違いしてがんじがらめになって

誰かに対する、心を込めた言葉は
その実、自分自身へ向けた言葉でもある
いつまでも素直に間違えて、触れて確かめて、堂々と怪我をして、心の底から反省をして
「ごめんなさい」「ありがとう」を伝えることをしたい
それは来世にハエに生まれても、泥に生まれても、そうだ。
どんなに深い悲しみでも、時間は助けてくれる
だから、生きなければ。

少し前かにふとしたことがきっかけで、右と左の区別がつきにくいことに気が付いた。
そんなことがすごく興味深くて、とても愛おしいと思えるようになった
わたしの秘密

どこで覚えた言葉だろうか
わしたのとこひとりごと

例えば小学3年生のころに読んだ小説、地域の公民館で上映された犬の話。隣で涙を流す母と、母の涙に素直になれない父親の、あの言葉。
突然、偶然、必然。ある日私のもとへやってきた「死」という存在。乗り越え方と受け入れ方がわからずどうすることもできなくて、誰にも知られたくなくて夜な夜な涙で枕を濡らした。
あれは小学5年生のころだったっけ。

人を傷つけたら、その分自分にも返ってくる

身をもって知ったのに、年月が経ってすっぽりと頭から大事なことを忘れて間違いを繰り返した。痛い目にあってやっと、心底痛い思いしないと私はきちんと理解ができない人間。
叱責。叱責。叱責。そして叱責。

世の中には説明ができないような不思議なことが転がっていて
大体は「科学的な根拠」で説明がつくようになっちゃって。
それでも個人的にこれはすごいと思うことのひとつが「女の勘」というやつだ。

またか。と今日何度口にしただろう。
「こころってここにあるんだよ」って、何度心の位置がズキズキと膿んだことだろう。
同時に、たくさんの人に触れて、確かめてきて本当に良かったと感謝の気持ちも生まれて、幸せを感じられて。
相反する感情は背中合わせだったのか。そうかそうか。
めちゃくちゃに胃が痛いぜ

ばかばかしくて涙も出やしないし、誰が泣くもんか。
有限だろう涙の量を、誰がこんなばかばかしいことに、あんたらなんかに流してやるものか
生きてれば、こんなような気持になることも、ある
じゃあ、誰がこの今の私を助けてくれるんだろう。
じゃあ誰が、わたしのこの気持ちごと抱きしめてくれるのだろう。
やっぱり、王子様なんていないのだ。
それだけが明確に分かった、日。そんな日だ、今日。

強くなりたいと馬鹿のように繰り返しくちにして、自分の体に書きなぐったあの日々にこんなに感謝する日が来ようとは。

持ち越さないと口にしたのは、それしか私が助かる道がなかったからだ。
約束したのは、私と私なのだ。結局。

普段使うことのない、どこで覚えたのかもわからないような言葉は、きっと頭のどこかにしまわれていて、ここぞというときにすらすらと出てくる。
可笑しくなってしまった
こうやって強くなるのか、人間は。これが大人になるって行為なら、大人になんてなるもんじゃない
ただただ、たくさんの人と知り合って、孤独になっていくのか。
おかしくなっている。らしくない。

空中の高い場所から私が私を監視している。
「被害者面は一番反吐が出る行為だよ」と声が降ってくる。
優しい人間になろう。両手を広げて、抱きしめてあげられるような。
そういう人と出会って、あたしも包んでもらおう。
そんでもってこのよどんで消えない記憶をすっかりキレイに上書きしてもらいたい

大概幼稚だ。「がっかりする」ことにこんなに傷つけられるとは思わなかった。
落胆、失望は生殺しの殺りく兵器なんじゃないかな、はははは

28才だった、わたし
わしたのとこひとりごと

2016年、わたしは回復するための始まりを見つける。回復の兆し。

「どうしても泣いてはいけないような気がして、ただその光景を自分が立っている位置よりも遠いどこからか眺めていた。」

これが正しい説明だと思う。あの人はいまこう動いて、あのひとはこれから何をするのだろう、そんなことを頭の片隅で考えながら、こみ上げてくる涙を必死でこらえていた。
2015/8/23、18:04を携帯電話の画面で確認する、28歳のわたし。

人生は何が起こるかわからない、とはよく言ったもので。
想定外の出来事は考えているよりもずっと簡単にわたしの足元までやってきて、じわりと身体の芯から隅々通り抜け、一番長い髪の毛の先からあっけなく逃げて行ってしまう。
北風だったり、春風のようだったり。する。

あの真夏にふいた北風は、すっかりわたしの身体の大事なところを冷たく冷やすとともに、たいして深くもない井戸に規制をかけていった。
コンコンと湧き出る、井戸の規制をかけた犯人のふりをしている。
コンコンと湧き出る、井戸の規制をかけた犯人に仕立てあげられている。

2016/7/22、25:00 Rookie A Go-go FUJIROCK FESTIVAL'16
ツンとした夜の空気の中、ここでわたしは春風に包まれた。なんのご褒美なのだろう、誰のご褒美なのだろう。The Taupeがフジロックに。
人生はジェットコースターのよう。この表現はほんとうだななんてうなずいてしまう。
わたしはわたしなりに、超えることができないあの大きな背中を越えたい。
だからしっかりと悲しまなければいけなかったのに。
悲しむことを恐れていたばかりに、ついにわたしはどこかが凍えたまんまで今日まで歩いてきた。パワーが足りないのは、睡眠不足のせいではなくて、泣くことを怖がっていたから。
あの日の病室に、28歳のわたしを置いてきぼりにしてしまったから。

もう数日で2016年が終わるというのに、今更になってようやく見つけられた回復の兆しは、絶対に逃がしたりなんてしない。

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