どこで覚えた言葉だろうか

わしたのとこひとりごと

例えば小学3年生のころに読んだ小説、地域の公民館で上映された犬の話。隣で涙を流す母と、母の涙に素直になれない父親の、あの言葉。
突然、偶然、必然。ある日私のもとへやってきた「死」という存在。乗り越え方と受け入れ方がわからずどうすることもできなくて、誰にも知られたくなくて夜な夜な涙で枕を濡らした。
あれは小学5年生のころだったっけ。

人を傷つけたら、その分自分にも返ってくる

身をもって知ったのに、年月が経ってすっぽりと頭から大事なことを忘れて間違いを繰り返した。痛い目にあってやっと、心底痛い思いしないと私はきちんと理解ができない人間。
叱責。叱責。叱責。そして叱責。

世の中には説明ができないような不思議なことが転がっていて
大体は「科学的な根拠」で説明がつくようになっちゃって。
それでも個人的にこれはすごいと思うことのひとつが「女の勘」というやつだ。

またか。と今日何度口にしただろう。
「こころってここにあるんだよ」って、何度心の位置がズキズキと膿んだことだろう。
同時に、たくさんの人に触れて、確かめてきて本当に良かったと感謝の気持ちも生まれて、幸せを感じられて。
相反する感情は背中合わせだったのか。そうかそうか。
めちゃくちゃに胃が痛いぜ

ばかばかしくて涙も出やしないし、誰が泣くもんか。
有限だろう涙の量を、誰がこんなばかばかしいことに、あんたらなんかに流してやるものか
生きてれば、こんなような気持になることも、ある
じゃあ、誰がこの今の私を助けてくれるんだろう。
じゃあ誰が、わたしのこの気持ちごと抱きしめてくれるのだろう。
やっぱり、王子様なんていないのだ。
それだけが明確に分かった、日。そんな日だ、今日。

強くなりたいと馬鹿のように繰り返しくちにして、自分の体に書きなぐったあの日々にこんなに感謝する日が来ようとは。

持ち越さないと口にしたのは、それしか私が助かる道がなかったからだ。
約束したのは、私と私なのだ。結局。

普段使うことのない、どこで覚えたのかもわからないような言葉は、きっと頭のどこかにしまわれていて、ここぞというときにすらすらと出てくる。
可笑しくなってしまった
こうやって強くなるのか、人間は。これが大人になるって行為なら、大人になんてなるもんじゃない
ただただ、たくさんの人と知り合って、孤独になっていくのか。
おかしくなっている。らしくない。

空中の高い場所から私が私を監視している。
「被害者面は一番反吐が出る行為だよ」と声が降ってくる。
優しい人間になろう。両手を広げて、抱きしめてあげられるような。
そういう人と出会って、あたしも包んでもらおう。
そんでもってこのよどんで消えない記憶をすっかりキレイに上書きしてもらいたい

大概幼稚だ。「がっかりする」ことにこんなに傷つけられるとは思わなかった。
落胆、失望は生殺しの殺りく兵器なんじゃないかな、はははは

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集